東京都 小金井市で「十三代 酒井田柿右衛門」の陶磁器をご売却頂きました

十三代 酒井田柿右衛門 草花鉢

遺品買取(遺品整理)のご依頼で伺いました。

人間国宝として知られる「十三代 酒井田柿右衛門」の鉢の他、根付や印籠、彫金細工が施された銀器、銅器、象嵌細工が施された鉄瓶、浮世絵(木版画)などをお譲り頂きました。

いずれのご依頼品も大切にされていたようで、状態は良好で事前の画像での見積価格よりも高額の査定金額を提示することができ、お客様にお喜び頂くことが出来ました。b_body_jump.gif

このたびは弊社をご用命頂きありがとうございました。b07.gif

先日別のお宅で酒井田柿右衛門の作品をお譲り頂き、本日は有田焼の伝統のある工房の作品を続けて扱うこととなりました。

やはり、有田焼は全国的に広く普及している窯元の一つであることを実感しました。

なお、下記に作者の経歴を紹介させて頂きます。

【十三代 酒井田柿右衛門】
十二代の仕事を助け、父子の協力で念願の濁手を復活させた十三代柿右衛門。
襲名以降十三代が目指したのは新時代にふさわしい現代様式の柿右衛門の創造でありました。
自ら野山に出かけて集めたスケッチは膨大なもので、柿右衛門様式の新境地を切り開き、伝統工芸の作品から芸術品への領域に高めた工芸作家であります。
≪経歴≫
明治39年に生まれ、十二代の希望により有田工業学校の陶芸科で学んだ十三代は卒業後家業を手伝い作陶活動に従事します。
しかし、それが十二代との親子けんかの始まりでもありました。
赤絵の家門を背負い、上絵の調合と絵付けに心を傾ける十二代に対し、昔のやり方を繰り返すだけの様に感じた十三代はその仕事に反発を覚える様になります。
その後、十三代は伝統という基礎を身に付けた上で、自分らしさの作品を追求するという考えを持つ様になります。
また、大正時代から昭和にかけては各方面で個人作家としての美意識が高まりつつあった時期にあり、職人気質で世相に疎い十二代との対立がありました。
昭和38年に十三代を襲名したあとは、まずは家門の復興に心血を傾けることとなります。
十三代は十二代とは違い、社交的な人物であった様で、その人柄を反映してか、徐々に赤絵屋の名家として世に知られる存在となりました。
その後、さらに陶芸の技術を高めるために幅広く有識者の意見に耳を傾け、助言を求めてその技術を高めていきます。
その謙虚で真摯な姿勢は多くの人々の共感を呼び、十三代は多くの有能な人物に囲まれて作陶活動を進めていきました。
江戸時代の伝統に固守する「柿右衛門」様式から脱却し、古典的絵模様にとらわれない、近代的な十三代独特の作風を完成させていきます。
自然の草花を写生し、そこから図案をおこし、父との共同作業で復活させた「濁手」の絵付けを施していき、多くの作品を発表する様になりました。
しかし、当初は古典的意匠かけはなれた作品は目新しく写り、なかなか人々の理解を受けない事も多く、伝統を蔑にしているといった意見もあった様です。
その後、伝統的な柿右衛門意匠を求める声にも応える様に、古典的意匠の作品も数多く製作していきました。
十三代が膨大に描いたスケッチから生まれた数々の作品は、十二代から教え込まれた職人的要素を下地にしながら、300年にわたって連綿と続けられてきた柿右衛門の作風を、伝統工芸の領域から創意あふれる芸術品へと評価される基礎を造ることとなりました。
また、十三代は十二代とは違い、進んで「日本伝統工芸展」にも出品をし、その作品は広く世に知られ、各方面から高い評価を受ける事となりました。
「伝統とは生きて流れるものであり、従来の技法を固守することにとどまらず、先祖から受け継いだ技術を鍛錬すると共に、現代に即した新しい物を築きあげる」といった十三代の考えそのものが多くの作品に反映されています。
十三代柿右衛門作品の真価は本人の創作と独創性にあるといっても良く、芸術作家としての柿右衛門の評価を不動のものとしました。
以上、略歴引用

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