さいたま市 大宮区で小川芋銭の日本画(墨彩画)や七宝花瓶を買取りました

 小川芋銭 日本画 七宝花瓶

 収納されていた品物の片付けのご依頼で伺いました。

川の両側に広がる田園を望む光景が描かれた「小川芋銭」の作品の他、色紙や短冊を多数引き取らせ頂きました。

また、伝統的な花鳥図や花の紋様が施された七宝花瓶などもまとめて買い取らせ頂きました。

クリスマスの準備でお忙しい中、品物の運び出しにもお付き合い頂き感謝致します。

ありがとうございました。santa06.gif

なお、下記に作者の経歴を記載させて頂きます。

【小川 芋銭】

明治元年(1868年)~昭和13年(1938年)

江戸赤坂溜池に牛久藩邸で生れ、牛久沼畔で歿。本名は茂吉。

1880年(明治13年) 本多錦吉郎の画塾、彰技堂に入り洋画を学ぶ。

1886年(明治19年) 尾崎行雄の推挙を得て、『朝野新聞』に客員として入社する。

1892年(明治25年) 父親の命により牛久に戻り農業に従事する。

1899年(明治32年) 句会『水月会』に入会する。

1903年(明治36年) 幸徳秋水らが主催する『平民新聞』に漫画を描き始める。文芸運動の『木星会』の結成に参加する。

1907年(明治40年) 初の画集『草汁漫画』を刊行する。

1910年(明治43年) 俳誌「ホトトギス」の表紙画・挿絵を描く。

1915年(大正4年) 川端龍子、平福百穂らと『珊瑚会』設立する。

1917年(大正6年) 珊瑚会展に出品した「肉案」が横山大観に認められ日本美術院同人に推挙される。

1923年(大正12年) 茨城美術展の顧問になる。

1935年(昭和10年) 帝国美術院参与となる。

小川芋銭の雅号は、『自分の絵が芋を買う銭になれば』という思いからつけられている。好んで河童の絵を多く描いたことから『河童の芋銭』として知られている。

以上、資料引用

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